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エミリオ

 アルハンブラ宮殿の後、エミリオ(+奥さんのコンチ)と昼食の約束をした待ち合わせのホテル・アルハンブラ・パラセへ行った。
エミリオファミリーと 遠くからでも良く見える品のないダークピンク色の紛らわしい名前のホテルだが、なんと最高級の5つ星だ。こんなところで食事?普通ので良いよ、と思っていたら30分遅れてやってきたエミリオが、金曜日はどこも混むから以前一緒に行ったところへ行こう、と言った。嬉しい。
 それはグラナダから20kmぐらい離れた街道筋にポツンとあるガソリンスタンドに併設したレストランで、前回はそこで牛のほほ肉を食した。
 着いてみると、エミリオの友人夫婦がいたが、それは2009年にエミリオと一緒に日本にやってきたおじちゃんとおばちゃん達で、11年振りの再会をした。エミリオはやたら日本人の友人が多く、来日するとたいていそれら友人のいる秋田・宮崎・京都・横浜・東京等を律義に巡業する。アンダルシアとブルゴスの両方に行くのはとても大変だ、と言っている私は見習わなければならないか。
 娘は白身魚のフリッタを頼み、私はソースなしの豚肉の塩コショウを頼んだ。

コンチと レストランの後、エミリオの家に寄った。プールがあったことや窓のダビーと遊んだ部屋などを見て娘はリアルに思い出したようだ。とすると、初めて異性と手をつないだのは5才の時でありなんど早熟なことか。
 5才になるシェパードのルナがいた。
 この時点でエミリオの店で全く土産を買っていないことに気付き、火曜日に来ることを伝えるとその日は出張で不在らしい。近々またアンダルシアへ来る用事ができそうなので、簡単なお別れ挨拶をして待ち合わせをしたホテルまで送ってもらって辞した。

 帰り際、アルハンブラの近くにある、聖地回復の立役者であるイサベル女王とフェルナンド王が眠る王室礼拝堂へ行った。受付で入場料600円を払うと「お国はどちら?」と聞かれて「え、日本だけど・・」と言うと、何やらパソコンに入力してトランシーバーみたいなのを渡された。
コンチと 受話器のように耳に当ててみると、部屋ごとの説明が日本語で流れてきた。これは素晴らしいサービスだ。これを何というのか後で聞いたら「アウディオグイア(audioguía)」の「音声ガイド器」。
 その二人は、それぞれ鉄製の黒い棺に入っていた。中国やエジプトの王朝のそれらからすれば思いっきり平民レベルのシンプルさがあった。
 以前は、アルハンブラに通じるゴメレス坂によく出没していた強引花売りジプシーおばちゃん達は、ゴメレス坂が閑散としてしまったが為、その王室礼拝堂前広場に移動していたのだが、今回、出戻り的に坂の門に出没していた。見てみると強気にも宮殿の側道に植え込みされた草を勝手に摘み取ってそれを売っていた。たくましい。
 黙って差し出して受け取ると「はい、お金ちょーだい」となるのだが、そもそもがすごい形相でにらみつけながら差し出すので誰も怖がって受け取らない。笑顔が大事だよ、ジプシーおばちゃん。

ベラの塔(Torre de la Vela)
2000年12月 2002年7月 2020年1月

 娘の記憶として、より覚えているのはアルハンブラ宮殿のベラの塔の屋上出口なのだけど、それはこのホームページの写真を良く見ていたからだと思う。イメージとして大砲の上に乗っていたと記憶していたらしい。