高校3年の時、仲間と東京探索ハイキングをした。 市川からバスに乗り、矢切停留所から伊藤左千夫の「野菊の墓文学碑」を訪れる。そこから矢切の渡しに乗って柴又帝釈天へ。 細川たかしの「矢切の渡し」がヒットする前でブームもなかったので、日曜日なのに乗っている人もパラパラ。昭和51年。