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台湾フリーク 曇天台北 5-4

 台湾にいて台湾人から「台湾はどお、好きですか?」と聞かれて、「嫌いだ」と答えられるのは、盗難に遭ってパスポートからカードなどを全部盗まれてしまったか、女を買ったらトンでもない病気をうつされたとかに違いなく、この質問には「大好きです」以外の選択肢がないと思う。
 ま、どの国でもそこにいてそう聞かれたらそうなるのだが、言葉が分からないのでなかなか深くコミュニケートできず、「大好きだ」と言い切れない辛さがある。
 結局は、傍観者としての観察でしかないのだが、今の日本の都会では忘れ去られたような人の温もりがあるのは、台湾を訪れた人なら必ず受ける印象だと思う。しかしこれは日本人観であり、例えばノルウェー人とかコロンビア人などは別な印象を受けると思う。

 時々、日本語を喋る年配の方々に出くわすが、昔を懐かしむように「あの時、○×中将が、○×作戦を採らなければ、○×戦は日本が勝ったのに!」とか「○×地域にいた○×部隊は強くて最強だった」などと語りかけてきたり、旧日本陸軍の帽子を取り出してきてかぶっては教育勅語を述べたりしてくれて、嬉しい反面戸惑ってしまう時がある。
 レイテ沖海戦とかミッドウェイ海戦ぐらいなら知っているのだが、「○×地域攻略の○×作戦」になると、部分的で細か過ぎて知らないのが多いからだ。今度台湾に行く時は、もっと戦記を読まなくてはならないかもしれない。
 何十年前の帽子とか本などを今でもきちっと保存しているのは、戦争の是非を越え、その時を青春時代として過ごした郷愁的な思い出となっているからだと思う。
 目の前の日本人に触発され、少年のような目で昔を熱く語っている年配の方々に接するところでは、少なくとも私の台湾観をプラスにさせてくれた。

 それほど気に留めていなかった台湾だけど、香港経由で行った事があり、香港の臭いを身につけて台北に降りたった時、明らかに香港とは違うと感じた(当然だけど)。
 中正国際空港の臭い、あまり綺麗とは言えないリムジンバスやそこからの車窓など全てが懐かしく、まるで自分の国に戻ってきたかのような安堵感があり「通えば都」を認識しフリークの始まりを感じた。

 ところで、台湾グルメ8割OK!と絶好調な私は淡水で出会ったご婦人から食事を誘われた。
 席に付き隣のアベックをふと見たら、トンでもない食べ物に見えるモノを美味そうに喰っていた。
 油揚げの中にはるさめだけがたっぷり入っていて、甘そうなピンク色のタレもたっぷりかかっていて「なんだ、あれは?」。数分後に目の前に運ばれてきたものは、まさにそれだった。
 「阿給(アゲェイ)」と言い淡水では有名らしく一口食べてみたが殆ど味がせず、濃い目を好み甘いのがダメな私が台湾人として生まれ変わっても食べないであろう味に近かった。
 宗教上の理由で断ろうと思ったのだけど敬虔過ぎて自分の宗派を忘れてしまい、油揚げを食べてはいけない宗教なんて聞いたことがないので、清水寺からバンジージャンプする気分で一気に食べた。
 美味そうな表情で食べないとご婦人に対して失礼であり、この時の演技は名優を越えていたと自負している。日本で、納豆とかクサヤを薦められた外国人の気持ってこんな感じかもしれない。
 台湾グルメ8割を謙虚に3割と訂正し、台湾フリークの道の険しさを改めて痛感した。