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ドラゴンクエスト 2005.2.11

ドラゴンクエスト
VII エデンの戦士たち PS/ENIX
 ドラクエをやった人ならご存知と思うが、いろいろな町や城へ行き、人と話しをして情報を集めるのが基本だ。
 そして、そこの家にあるタンスやツボ、花瓶を探すことによっていろいろなアイテムを集める。豪華な宝箱などもあって、これを開ける時には、一種の緊張と喜びさえもある。プレイステーション版になって、ツボや花瓶を持ち上げて割るというアクションが増え、それが結構ストレス解消になる。

 久しぶりにドラクエを再開し、7をやっていたら娘がやってきて「これ何〜?ドラクエって言うの?」と、興味津々で画面を見つめた。
 あれやこれや説明したら、当人もやってみたいとのこと。子供は本能的にテレビゲームに興味を示すみたいだ。
 「ほらほら、家のこのツボを割るとコインが貰えるでしょ。おお、タンスの中には洋服も入っているぞ。」と、得意がって説明してやると。

 「他人の家のモノを勝手に開けて持ち帰るのって悪いことじゃないの?」

 気付かなかった。確かにその通りである!
 「もちろん、本当はいけないのだけど、これはゲームだからね・・」と、説得力のない説明をした。ゲームだって、いけないことはいけないし、マシンガンを持って殺しまくるゲームのニュアンスとはちと違うのだ。
 そのうち「いけないけど、これはゲームだから良いんだよね。」と娘は納得。

 自分の中で正当化できれば納得するこの推移、もしかしたらほんとにヤバいのかもしれない。
 ゲームだから良い → (自分勝手に)○×だから良い、になってしまわないのか?
 ・・・というのは考えすぎで、何事もケースバイケースで判断できるバランス感覚を持てば良いのだ、と、無理やり自分に納得させた。
 考えてみれば、ストーリー上、お世話になった人や悲しみに打ちひしがれている家に行くこともあるのだが、確かにこれまたタンスを開けたり、ツボを割ったりと、現実だと確実に殴られても文句を言えない事をしているのだ。
 ドラクエのプライベートサイトのQ&Aとかでも、これについての回答があるが、いずれも説得力に欠ける。しかし、アイテムがあるかもしれないと思うから家などをくまなく探す訳で、これがないと、かなりゲームの魅力も半減するだろう。
 いっそのこと、勇者など正義の看板を下ろし、ルパン三世やねずみ小僧のように宗旨替えするとか・・、でも、義賊とは呼ばれないだろな。

 「子供にテレビゲームなんて良くない!」なーんて言える資格なんぞはこれっぽっちもない。その父親がドラクエにハマっているからだ。
 それでも「ドラクエだけならやっても良いよ。ただしやるのなら1からちゃんと順番にやりなね。」
 ヤフーオークションにてスーパーファミコン&ドラクエを改めてゲットし、娘は嬉々としてやり始めたが、まだ漢字が読めないのでその都度呼ばれて説明しなければならず、ドラクエ7どころではなくなった。
 おまけに一度強い魔物に出会ってからはより慎重になり、レベル7なのに相変わらずラダトームとガイヤ周辺をぷらぷらしている。レベル上がらんぞ、それじゃ。
 最近、たまごっちブームが復活し「りんのすけ」と名付け(クレシンの見過ぎ)、その飼育に余念がなく、娘のドラクエは完全にスリープ状態。

 私のドラクエの遊び方は、必ずレベル99に上げることだ。
 当然ながら、親ばかモードにて勇者の名前は言わずもがなである。

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