苦労話といえば、きりがない。いい意味でのケンカも何度したことやら。
チャリティーコンサートの運営や国際支援の経験がまったくないバモスが開校までこぎつけることができたのは、ルイスさんのドリームの世界に引き込まれたみんなの馬鹿さ加減だったかもしれない。
また、各方面の協力者の方との合唱が旨くいったのだと思う。
肩の力を抜いた援助、これがポイントかもしれない。それと、建設委員会の大半の方がスペイン語が話せたことも信頼関係の構築に寄与したのかもしれない。建物をいくつも作りよりも、1つの学校と長い付きあいをしたいものである。
1999年初夏 |