マグロとキャベツ畑
「バキューン」「ズドドドーン」、もし映画になったら、こんな擬音効果があり、セリフも「邪魔だ、邪魔だ!!」なんて声も聞こえてきそうな築地の魚河岸。
いざ行ってみると、そんな事は全く無く、各自黙々と自分の分担をこなしているし、こちらの問いかけにも終始ニコヤカに詳しく説明してくれたりして、こちらは拍子抜けしたけれど、それが逆に楽しかった。
そして築地のメインディシュといえばやはり鮪である。何千本もの、鮪がキャベツ畑の如く並べられているのは、写真などで何回か見て分かってはいてもド迫力である。しかも私達には全く分からない呪文のようなカケ声のセリで、よく他の物と間違えないものだと感心してしまうのは私だけではあるまい。
ある大きなマグロを隣のオジサンが「お兄ちゃん、これ旨いぜ!」なんて指差して言っても、「どうせ、こういうのは私の口には入らないだろうなぁ」と思うと、隅の方に置いてある小さな魚達を撮ってしまう私は、貧乏カメラマンだ!
1989年7月1日
10年目の築地
雨後の筍のように発刊され、また消えて行くのが、最近ではエリアマガジンと呼ばれているタウン誌。そんな中でキング・オブ・タウン誌「銀座百選」の隣町、築地にもできたのが1989年春、60頁A5サイズの「築地物語」である。
創刊から接してきたのだが、今年で10年目、タウン誌としては十分に老舗の部類に入るだろう。
タウン誌は、超低予算の関係から、企画から製本まで分業化されにくく、ヘタをすると1人がライター兼カメラマン兼デザイナー兼編集者と云うのがそれほど珍しくなく、地元の主婦達がボランティア的に作っているのだってある。しかし、「築地物語」は、なんとそれなりに専業のイラストレーター、カメラマン、エッセイスト、デザイナーなどが手がけ、企画もシリーズや特集などを組み、普通の雑誌と変わらぬ編集方針により運営されている。当然赤字であり、つまり10年間大赤字を出し続けている状態なのだ。それでも続いているのだから、大したクライアントだと思う。
下町の浅草と云うのがあるが、言うなれば、戦後の下町かもしれない。
高台とかに住む武家屋敷周辺を山の手(文京区〜新宿区)と呼ぶのに対し、商人達が住む所、つまり東銀座、築地、八丁堀周辺を本来の下町(中央区)と呼んだ。それとは別に、日本橋にあった市場が、関東大震災で倒壊され、築地に移築されて現在に至っているそうだ。
ウォーターフロント計画などにより、急速に景観が変わり続けている築地界隈だが、逆に綺麗な隅田川が帰ってきたように思える。30数年前、親父に連れられて浅草から隅田川遊覧船に乗って、橋桁が上がった勝鬨橋をくぐり抜けた記憶は今でも覚えている。10年前から、この勝鬨橋を上げる記念行事計画があるのだが、1回上げるのに1千万かかるそうで、その資金繰りで棚上げ状態になっている。また、手狭となった市場を、お台場か晴海の方に移築する計画も前からあるのだが、多様な問題を抱えていて、これまた難航している。
さて、10年後の2009年、一体築地はどうなっているのだろうか。