マヌエル邸
友人マヌエルは、グラナダの郊外に家を買った後に仕事の関係でスイスに住むこととなったので、この家は別荘風となり年に何回か訪れるているようだ。スイスから飛行機で2時間だから近い。
近い将来、暗室を使った写真教室をグラナダで開校する計画があり、今から生徒用の機材などを集めている。そこでもう使わなくなった私のフィルムカメラを友達価格で譲るため、それらの機材を持ってグラナダのマヌエル邸を訪ねること今回で2度目。機材は、120や大判カメラなので重たい。
前回は、バルセロナからグラナダまでのLCCのブエリング航空は、往路の予約を親切的にも勝手に変更し、かなり混乱を招いてくれたが、今回はスムーズにグラナダに私と荷物を届けてくれた。
そして、前回はマヌエルはスイスから車で来ていたのでグラナダ空港まで迎えに来てくれたが、今回は飛行機で来たので車はなく、代わりに友人のベンハミンが車で迎えに来てくれた。
マヌエルと同様に彼とも5年振りの再会だ。
相変わらずマヌエルの家は、バス停から一直線的な坂を登り切ったところにあり、周辺は家ばかりの新興住宅地で、遠くにグラナダの市街地が見える景観の良いところなので、こんな坂を重たいスーツケースを引っぱって登るだけでもテーヘンだ、になる。下りは良いけど。
当然回りには何もなく、景観の良い刑務所みたいなところだねぇ、と言ったら、妙にマヌエルにウケて、次回もこの刑務所へ!と、収監要請が出た。
特に観光したりする訳ではなく、マヌエルとオタクなカメラ談義をする為に来たようなものだから、一人暮らしの男の友達のアパートに数日間、居候しに来たのと似ている。そんなマヌエルは、せっせと朝食を作ってくれたのは嬉しく感謝である。シンプルだけど、大好きなハムやソーセージ類(embutidos)があるので大満足。
5年前に比べてバスの便が増えたので、町に繰り出した。
ちょうど、チケットを購入した旅行会社から、帰りの便の時刻が変更になり(10分ぐらいだけど)新しいEチケットのPDF添付のお知らせメールがあったので、それをプリントアウトしてもらう店にも行かなければならなかった。そして、美味い生ハムのハモン・イベリコを食べに行くことにもなった。
確かにグラナダへ来ればゴメレス坂にあるエミリオの工房へは立寄るので、有名なイサベル女王とコロンブスの像の前を良く歩いているのだがお上りさん風な記念写真を撮ったことなかったので、マヌエルにカメラマンをしてもらった。
ちょうど前記のYoutubeの「こやぎ先生の中の人ちゃんねる」にて紹介されていた、観光客がおらず地元の人達で盛り上がるグラナダのバル街というのがあり、その中の「ダイヤモンド 2」という魚料理が美味いレストランバルに案内された。
マヌエルからいろいろ生ハムのレクチャーを受け、ハモン・イベリコは黒豚で、ハモン・セラーノは白豚などetc、としたらやはり、ハモン・イベリコでしょ。
確かに脚が黒く、スライスしたところから油がにじみ出ているので、まさしくハモン・イベリコだ。ご馳走になったけど、ベージョタの皿は高かったのだろうな(通常の2倍価格)、感謝、マヌエル~。
半地下のガレージには、将来の学校の暗室用の引伸機が数台鎮座している。殆どが5×7用。暗室もありそのデキはプロラボ並だ。
マヌエルは久しぶりの帰省なので部屋や庭などの掃除に余念がなく、私はたまった衣服を洗濯して中庭に干したり、Facebookに書き込んだりして(スペインまで来てやるか?)、まるで何かの合宿に参加しているようで楽しかった。
写真では分かりづらいが、ヨーロッパは乾燥した地域なので、遠景がより近くにはっきり見え、それは月も例外ではない。改めて月って綺麗なもんだな、と思った。
愛用のタバコ、メビウス1が切れそうになってきた。
実は成田発の飛行機は夜行で、早めに行ったのだけどあちらこちら混んでいて税関を抜けた時には免税店の閉店時間(20:30)を過ぎていて、スペインで吸うつもりだった1カートンが買えなかった。
急場で買った黒タバコのデュカドスは、マヌエルから臭いから違うのを吸ってくれと言われたので、この近くにたばこ屋はある?と聞いたら、坂を下りたところに1軒だけバルがあるからそこで売っているよ、と。
テクテクと坂を下りちょっと横に折れた先に「黒白」というカフェ・バルがあった。こういう店でのタバコは自動販売機が多いのだが、未成年者への防止なのか、リモコンで販売機をON/OFFしていた。
軽いタバコはどれ?と聞いて教えてくれたのが、キャメルのイエローで、5.5ユーロ(825円)となかなかのセレブ価格だ。ついでにコーヒーを頼み、これは2.7ユーロ(405円)で高いのか安いのか良く分からない。でも、マシンでのエスプレッソの味は、スペインへ来たぞ、と思わせてくれる。帰りは、またこんな坂登るのか?のような坂道をウンショウンショと登った。
最終日は、早朝出発で、マヌエルが荷物をバイクに載せて下まで運んでくれた。バス停自体は昔からなかったのだが、最近終点が伸び、かつ時間によっては停る場所が近くの3ヶ所に変わったらしいが、バス停がないのには変わりない。
取り敢えずもマヌエルに譲る大物的なカメラ等は、ジナーSと他レンズ類だけとなり、2年後の再会を約束してマヌエル刑務所を出獄、いや出発した。
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