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再び大連へ/再訪大連
 

再び大連へ

【歴史の町】

 東北地方は、日中戦争から太平洋戦争の影響が多く、そう満州国だ。
 観光となれば当然そういう史跡見物があり、瀋陽は「9・18歴史博物館」、大連は言わずと知れた旅順の203高地だ。

 いずれも侵略した日本(形容としては日本帝国の軍国主義)がとにもかくも全て悪い、となっている。
 「歴史は勝者が語り、敗者の正当性は無視される」、というのが持論だけど、見ていて気分が悪くなった。こういう場所を観光コースに入れない方が良いと旅行会社にアドバイスしたい。

満州事変発端の柳条湖事件記念館 ▼
9・18歴史博物館 9・18歴史博物館 9・18歴史博物館

 昔、日露戦争での203高地というのは日韓併合後にウラジオストック辺りのどこかを攻めたのだと思っていた。
 調べてみたら旅順、え、中国の領土じゃないか?それじゃ侵略だろうがっ。
 しかし、その中国領土になんでロシアがいるのだろうか?そのロシアに守ってもらっていたとか?再度調べてみたら不平等条約にてロシアは結果的にゴリ押しで満州 → 旅順へと侵略植民地展開していた。

 203高地の近く「東鶏冠山北堡塁」という当時のロシアの要塞を見学した。
 聞けば、仕掛け盛りだくさんの難攻不落の要塞で沢山の日本兵が戦死したらしい。この要塞を作るにあたり中国人1000人ぐらいをロシアお得意の強制労働させ、完成後にその仕掛け等が外部に漏れないよう、船に乗せて沖合で爆発させたとのこと。すげー。

 203高地には薬きょうの形をした10m強の慰霊碑が建っていて、その横には203高地の説明看板があり、中国語、英語、日本語で書かれていた。内容は同じで最後には「この慰霊碑は、すでに日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった」と記されていた。
 ロシア語も記したら、東鶏冠山北堡塁はやはり対外侵略の罪の証拠と恥の壕となるだろうし、「日本国」ではなく「日本軍国主義」というところで対日本への言い訳にしているのが読み取れる。

203高地 203高地
203高地 203高地

 何故ならその看板の横に中国語で「銘記歴史勿忘国恥」と記された小さな看板がまたあって、つまり「ここに歴史の真実を記したので、国の恥を忘れるべからず」。
 中国語だけで記してあるからだ。
 この「国」が日本を指すのなら、対外侵略しているというのなら日本に限らずロシアも含まれるのだけど、結果的に敗者には何を言っても良い、という感覚で本当の謝罪や反省を求めている訳ではなく、その事柄を外交カードなどにおいて有効かつ継続的に維持していきたい現れだと受け取れた。
 また、中国国民に対して「この屈辱を忘れるな」と侵略等について述べているのなら、ロシアの東鶏冠山北堡塁には何故にして同様の看板がないのだろうか。

 そんな一方的な解釈説明で満ちあふれた史跡や博物館だったので気分が悪くなった次第。
 もちろん悪いのは中国でもなくそして日本でもない、悪いのは、いや運が悪いのは203高地などに案内された日本人観光客なのかもしれない。