台湾短期留学滞在記
【 再訪春陽部落 】 2010.1.17 23:49

 さすがに2週続けての寝坊は悲し過ぎるので、根性で起きる。

 台中〜埔里(プーリー)間はいろいろなバス会社が運行しているのだが、埔里〜春陽(ツァンヤァン)間は、南投客運という会社が仕切っている。
 その南投客運が台中からのダイレクト便があるので、台中駅付近のどの辺に南投客運の駅があるのか探してみた。
 駅で聞いてみると「この道をまっすぐ行ったところだよ」、行ってみてもないのでまた聞くと「この道をまっすぐ行ったところだよ」・・・どこまで行くんだ?結局駅から歩いて10分強、ちとダル〜。
 
 サイトで見たら埔里発春陽方面行きのが10時にあるので、これに乗れれば十分。
 ホテルを8時前に出たら祭日で道が空いていて、前回の全航客運というバス会社の8:10発のに乗れてしまった。
 埔里駅に着いたらアナウンスで「温泉行き〜」、先の8時発のに追いついてしまったようだ。8時発のは途中、新幹線の台中駅を経由するから少し時間がかかるからだ。
 台中〜春陽まで片道合計、200元(570円)。

 2週間振りのバス停に降りてみたら、前回とはうって変わっての「春だ!」の天気で、梅が咲いていた。
 私は梅だけかと思ったのだけど村の人が山桜も咲くよと言っていた。

 今回の目的は、民族伝統工芸の機織りでベストを作ってもらうこと。
 いつもの工房に行ってみたら、いない・・あ、日曜日の午前中はミサがあったのを思い出した。
 ハムトーストでも食べようかと、村の中で唯一おしゃれなお店に行った、と言っても出店みたいなもんだけど。
 「休憩中」の張り紙がしてあった。こちらもミサだ。
 すると、例のきんちゃんがバイクに乗ってやってきた。
 聞けば、ミサの帰りらしい。奥さんは在宅とのこと。
 「あとで来る?」
 「うん、あとで行くねー」で別れた。

 ブラブラと写真を撮っていると子供たちが集まってきた。
 こういうガイジンは子供たちにとって珍しいモノになるのだろう、子供たちを撮っていると私にも撮らせて、と私のコンデジであちらこちらを撮っていた。

 腹が減ってきたので隣の分家みたいな集落までテクテク歩いて行ったらシャッターが閉まっていた。なんだよ〜。
 テクテクとまた戻り春陽を越えて反対側のもう一つの集落へ行ってみる。
 目の前なんだけど、クネクネの山道なので、すごく遠回り的に距離がある。
 途中の教会広場で写真を撮っていたら子供たちがやってきて「何処から来たの?ふーん、日本人なんだ。で、何処へ行くの?」
 「飯を喰いたいのだけど、あの辺に食堂とかある?」
 「あるよ、じゃ一緒に行こう」
 「大丈夫だよ、一人で行けるよ」
 「いいよ、僕の家はあの辺だから」

 行ったら万屋兼飯屋があって、奥からおばちゃんが出てきて「今日は料理系はないんだよ」。
 「他に飯屋とかある?」
 「うーん、あるけど今日はやっていないと思う」

 横の道端でたむろをしていたあんちゃんが「饅頭(肉まん風蒸しパン)ならあるけど食べる?」
 あんちゃんの店兼家は隣で「早餐」という看板があったので朝食屋さんなのね。
 わざわざ、大きなプロパンとコンロ、フライパンを出してきて、あれま失礼なお願いをしてしまった感じだ。
 初めて饅頭の作り方を見た。そこの饅頭は、あんパンを2つ重ねたくらいの立方体だった。
 フライパンに油を引いて熱し、その上に置いただけ、ひっくり返しもしない。
 出来上がりは、フライパンの面だけ焦げ目が付いていて、上はフライパンの熱で熱くなっているだけ。蒸してはいないけど美味い。
 ついでに目玉焼きを作ってくれた。
 お代は要らないというので、それはダメ、ということで50元を渡し、となりの店のテーブルを借りて食べた。

 これで醤油でもあればなぁ、と、ふと調理コーナーをみたら、中国醤油だけどあったよ。わおー。
 ついでに隣を見たら、な、なんと塩もあった、おお!!台湾に来て初めて見た。感動〜。
 やっぱセデック族は違うぞ!

 醤油をかけても染み込んでしまうのかちっともかけた感じにならない、その割には薄い・・あ、饅頭の熱で発泡スチロール皿に穴が空いてしまいテーブルがピタピタ〜、おばちゃん、ごめん。
 久しぶりに精神的に満足した、かの回転寿司以来だ。

 出かけようとしたら、饅頭のあんちゃんが手招きをする。
 行ってみると、ばーちゃんがいた。奥さんのおばあちゃんだそうだ。
 いきなり日本語で話しかけられて「いやー、日本語を喋るのはひさしぶり〜、そして日本人を見るのもほんと久しぶり。どこから来たの?」
 最後に「お体に気をつけて、達者でお過ごしくださいね」・・こちらが言うべき言葉だよ。
 日本語教育を受けた83歳のばーちゃんだけど、めちゃくちゃ日本語が上手く、特に敬語がパーフェクト。若い時の経験って幾つになっても残っているものかも。
 そして、あの当時の日本語ってもっと綺麗だったんだろうな、と思わせるような、ばーちゃんの日本語だった。

 そろそろ、機織りのマエストラも戻っている頃だろう。
 ばーちゃん達のところを辞して工房へテクテクと向かう。



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