台湾短期留学滞在記
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【 春陽部落での食事 】 2010.1.5 2:06

 半径100mぐらいしかない村なので、あっと言う間に見終わってしまう春陽部落。
 ま、何回も散策しても良いのだけど、取り敢えず廬山温泉方面への街道をテクテク歩いて行ってみた。

 1つカーブを越えたすぐ先に小さな集落があった。
 確認していないけど、同じくスデック族のだろう。
 春陽部落の1/3ぐらいの規模の村なのにちゃんと万屋があってビールから日用雑貨などがちゃんと売っている。
 その数軒先には子供用のお菓子やグッツ、文房具などが所狭しと陳列しまくっている立派なお店もあり、春陽部落の子供たちはここまで買いに来るのだと思う。
 その先には飯屋(小吃店)もあり、大好きな魯肉飯なども・・あ、あるじゃん、飯屋が。

 夕食のない美燕坊ホテルに泊まったら、ここに来て早い夕飯を食べ、夜はハンバーガーやトースト、ポテトチップスなどを買って台湾ビールで一杯・・・なかなか良いアイデアだ。

 朝食は付いている。
 娘さんが朝方何処かから買ってきたのか電子レンジでチンなのか、暖かい肉まんと春巻きみたいなのと甘い紅茶(最近慣れた)が朝食で、私にすれば十分だ。

 来た道を戻り春陽部落を通り越し、先日行ったはんちゃんの友人の家まで行ってみた。
 反対側の山の中腹にあり、そこからなら春陽部落を一望できる写真が撮れる。
 入り口のところでパシャパシャ撮っていたら、ドアが開いてその友人夫婦が出てきて「あれま、一人で来たの?はんちゃんは?」通称きんちゃんのだんなさんが聞いた。

 「ちょっと春陽部落が好きになったので改めて一人でやってきたんだ」。
 親切にもお茶をふるまってくれた。
 「熱ちーよ、このお茶!」というような日本のではなく台湾のはそこそこに熱いぐらいで小さい湯飲みに入れて何杯も飲むのがスタイルらしい。香りのよいウーロン茶。
 そろそろ辞しようかなと思っていたら、なんだか分からないけどバイクでどこかへ行こうと言っている、というぐらいしか聞き取れない。
 「バイクは運転できるけど今免許は持っていないんだよ〜」
 「後ろに乗るんだよ」

 メットをかぶり春陽部落を通り過ぎ一路、廬山温泉方面へ。
 道は断崖絶壁風のヘアピンカーブ。遠く真下には川が流れている。かなり行ったところで道をそれて、その絶壁風な斜面を二人乗りバイクで降りようとする。
 よく見たら、わだちのある細い田舎道があった。が、かなり急だ。
 ケツが痛くなるぐらいガッガッガッーーーッと下り切った川岸には、時代劇に出てきそうな竹林で囲まれた小屋があった。
 中から出てきたのは仙人ではなく、先週そのきんちゃんのところで会った友達か親戚の人だった。

 ここが家か、と聞いたら、家は別でここは作業場みたいな所と言っていた。
 番犬が2匹いて、軍鶏や七面鳥などを飼っていた。隣にはキャベツや香菜などの畑があり、売り物ではなく自分たちで食べるのだそうだ。

 その後、霧社事件での激戦場となった雲龍橋に連れていってくれた。
 20年前に今の新しい橋が横にでき、その昔の橋はなく入り口の塔だけが残っていた。幅は100mはあり谷底は深く数十m。
 こんなところまで山を削って道を作り、かつこんな場所に橋までかけてしまう日本人って凄いよ!と、きんちゃんは言っていたけど、なんでこんなところまで道や橋を作ったのだろうか?という疑問の方が私には大きい。
 この先には行き止まりの廬山温泉しかない。
 橋をかけたから温泉を見つけた、または温泉があったからわざわざ橋をかけた。よくわかんねー、当時の日本人? 

 そのまま戻るのかなと思っていたら、さっきの春陽部落隣の小さな村の坂道を上りどこかの民家に突入〜。は?
 大きな納屋みたいなところに入り、そこで食事。
 5つの大きな皿が並んでいてかなり豪華だ。
 最近気付いたのだが、台湾料理は味が薄いのではなく私にとって「塩分がゼロに近い」ということ。
 そしてもう一つ気付いたのは、塩分が不足気味故ややナーバスになっている自分がいるということ。

 それでも2皿ぐらい濃い目の料理があったので、なんとかそれを食べて済ませた。
 料理自体は野菜や肉などがしっかり煮込んであったりして美味い。日本の醤油をかければお代わり3杯必須モード。
 でも「済みません、持参の塩をこの料理に少し振りかけて食べても良いですか?」なんて口が裂けても言えない。

 納屋の中央のテーブルをみんなで囲んで食事、その隣には養蚕の篭が沢山あった。
 養蚕なんて年中モノと思っていたら時期モノだったのね、知らなかった。

 食後のお茶にしましょう、と言って2階へ。
 上がってみると、先ほどの納屋とはうって変わった豪華なリビングになっていて、大きなテレビを大家族全員が見ていた。
 90歳以上のじーちゃんやばーちゃんがいて、懐かしそうに日本語で話しかけてくる。みんな不思議なくらい日本語が上手い。
 終戦が小学校1年生だったじーちゃんはカタカナを私より上手に書いていた。

 2時10分の埔里行きのバスに乗るために、先に辞した。
 その次のバスは4時半。気分的に明るいうちに埔里まで戻りたかったからだ。
 荷物を取りにホテルに戻ってからバス停に着いたのは2時8分、セーフ!・・でも、来ないよバスが?!



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