【 自分へのオトシマエ 】 2010.1.31 22:51 スペインに1年間滞在した理由の一つに、予想以上にお世話になったのに現地の言葉にて何もお礼も言えずに辞してしまった、だからちゃんとスペイン語でお礼を述べたい、ということ。
で、台湾も同様。
でなければ、北京に行っていたかもしれない。
例の黄承富氏の奥さんのお父さん、お母さんには大変お世話になった。
1週間も泊めさせてもらったり、お二人が日本語ができるのを理由にその家族(息子や娘)にへは何もお礼が言えなかったこと。
後年、数年間年賀状等を出したのだけど返事がないのでそのままフェードアウト、その後何回も訪台するが喋れないのでスルーしていた。
・・というのが心の何処かにひっかかっていて、今回やや不足気味だけど自分の口から直接喋ってお礼を述べようと思った。
住所が変わっていなければ、という前提でGoogleマップで検索して場所を確認。
地下鉄の捷運駅から近いけど、地図をよく見たら拙ホテルから「コ」みたいな距離にあって、直線なら近いけど地下鉄で行くと2回乗り換えなければならないロケーションだ。
何処で降りれば良いのかが分からないので捷運で行く。
錦州街を調べたら、そんなに広くない小さな道なのに台北市内の右から左まで続いている。これじゃ「錦州街」だけじゃたどり着けないなぁ。
「錦州街の○×番地」、または「錦州街と○×通りの交差点」とかじゃないと難しい。
ま、番地は知っていて、駅を降りたら目の前が錦州街。
テクテク歩く。
こんなに広い道だったっけ?時計は2時過ぎ、早朝に例の粥を食べただけなので腹が減った。
歩いていると弁当屋の「池上飯盒」、牛肉麺の「三巧商店」などの台中でお世話になったお店があったが、さすがに台湾料理は飽きた。
サブウェイみたいなドッグ屋があったのでポークベーコンサンドとアイスコーヒーを頼んだ。65元(180円)、思いの外安い。
長いフランスパンの1/4なので食べごたえがある。
一目見て「ガイジン」に見えたのだろう、こちらが中国語で聞いているのに英語で返答。
それでも中国語で言うとまた店員のおねーちゃん、英語で「日本人ですか?」
中国語で「そうですよ、今ちょっと中国語を勉強していまーす」と言うと、また英語で聞いてくる。
ごらぁ〜!
でも、ここのドッグは美味かった。
先に進むと道幅が狭くなってきて見覚えのあるビデオレンタルショップなどが見えてきて、いよいよだ。20年振りは緊張する。
確か1階に機械の修理とかやっていた工場を経営し、その2階が自宅だった。
当時、中国語ゼロだったので何の工場だか分からず、看板に「機車」を見つけて、あ、バイクの修理工場だったんだぁ。
で、見たら看板が2つある。おい、どっちだったっけ?
おマヌケにも番地をメモするのを忘れてきた。
んでもって今日は日曜日なのでみーんなシャッターが閉まっている。オーマイガッ。
仕方がないからローラー作戦で、まず手前のドアの左側を押す。ジジーーー
「何さんのお宅ですか?」「違うよ〜」「済みません、押し間違えました」
今度は右側を押すが、応答無し。
隣の扉の右の呼び鈴を鳴らしても応答なし。
左を押しても同様。
おっかしーなぁ、ここだと思うのだけど、と通りにでて見上げたら人が顔を出した。
奥さんの弟だ。「覚えている?日本人のナカジマだよ〜、君のおねーさんの友達」
扉のロック解除の音がして中に入った。
お母さんは覚えていてくれて「たしかナカジマさんでしたよねー」
20年も前の1990年の事だけど、昔私が送った写真を持ってきてくれて弟も思い出した。
お母さんは相変わらず日本語が達者だ。
弟は今やお父さんの後を継いだ2代目。当時、二十歳ちょっとだったので今は40ちょっとだ。
カタコトだけど「あの時は全然中国語が喋れなくてごめんね、今も大して変わらないけど、その時のお詫びとお礼を言えるぐらいまでにはなったよ」
・・と、こちらの近況を話し、黄さんファミリーは?と聞くと、奥さんと子供は昨日まで冬休みとかでずっとここにいて昨日の夜にカナダへ行ってしまった、とのこと。
は?じゃ、黄さんもカナダに?
いや、黄さんは中国(大陸)の大学で仕事をしている、とのこと。教授ではないと言っていたので、なんだろう?
今でも結婚しているのなら、「なんでそんな遠い距離で別々に住んでいるの?」
「何ででしょうねぇ〜?」
気になっていた、おとうさんは?
腰を打って今薬で寝ている、とのこと。あ、元気なので良かった。
年齢を聞いたら80歳、岳父(カミさんの父親)と同じだ。
と言ったら弟に教えてもらった、実の父は「内公」、岳父は「外公」、勉強になった。
アポなし手ぶら突撃訪問だったので1時間ぐらい世話話をして辞した。
取り敢えず、糸を結び直したので次回の訪台時にはまた寄ってみよう。