村島 美智代
中世のイタリアに生き、失脚するまで権謀術策をほしいままにした人物がいる。御存知のチェーザレイ・ボルジア。私がドン・ペドロの次に興味ある人物だ。ボルジア家の発祥はスペインだけあって、彼に纏わる城がスペインにはある。失脚後、捕われ人となりスペインのバレンシアへ送られた彼は、ハティバに近いチンチーリャの城に幽閉された。その後、メディナ・デル・カンポのモタ城に移されるが、そこを脱走後は北スペインで戦死する。
このモタ城、話題に事欠かない。あのイザベル女王が晩年宮廷とし、ここで亡くなっている。またこのメディナ・デル・カンポ、あの狂女王ファナが夫フィリップと幼い王子達とも住んでいた。
この城にパジャドリーからセゴビアへ行く途中、夫に頼んで足を延ばした。街は、とても簡素で静かだった。とりあえず案内所を捜す。案内所では女性が三人、おしゃべりをしてお菓子を食べていた。地図を貰い、そこで聞いた話しは信じられない事に、公開されてないとの事だった。とにかくモタ城へ向かう。殺風景な丘の上にモタ城はあった。
表は修復中で堀に橋もなく、入れそうにもなかったが、城の裏にまわって見ると仮の橋が架けられており、スーツを着た人々が中へと入って行く。私達も何食わぬ顔でその後について行った。城壁を潜り城の扉へと向かう。扉にはカメラ×、犬×のカンバンがあった。公開されているのか?
開かれた扉の向こうから、大勢の人が食事をする気配が感じられる。とにかく中へ。外観が戦闘的なのに比べ、大きなパティオがあり、中は優しい感じだ。ハァっと感激も束の間、おじさんが来てきつい口調で怒られた。訳が判らぬまま扉の外ヘと出されてしまう。仕方がないので城壁の中を歩き写真を撮っていると、またもやさっきの人。先ほどよりもきつい口調で何やら怒っている。
私達は結局諦め、外ヘ。イザベル女王の部屋やチェーザレイの幽閉されていた部屋も見る事もできず、仕方なくゼゴビアへと向かう。心残りだったが、次回に楽しみを残そうと夫は言ってくれた。 |